阪神淡路大震災「自分だけが生き残ってしまった」
vol.3954
2023年1月17日
阪神淡路大震災から28年。
朝のニュースで
インタビューされていた人が
こんなことを言っていた。
「知人は震災で亡くなったが
自分だけが生き残った」
インタビューされた人は
毎年1月17日は
追悼式に参加しているみたい。
なんか
この人の言葉が
印象に残っていたのは
昨日見た映画が
一つのきっかけになっていると思う。
昨日見た映画は
「俺は君のためにこそ死んでいく」。
この映画は太平洋(大東亜)戦争
20歳にならない若い人達が
250kgの爆弾を積んで
沖縄近辺にいるアメリカの艦隊に
飛行機ごと突っ込んでいく
鹿児島の特攻隊の話。
そして
兵隊さんのお腹を満たしていた
富屋食堂の”鳥濱トメ”さんの実話。
自分の息子じゃなくても
食堂に来る兵隊さんは
皆、息子のように
お世話をしたトメさん。
息子たちが理不尽なことを
されようものなら
憲兵(軍の警察)に
立ち向かっていく。
特攻に行くという事は
お別れの印。
自分の与えられた時間を
どのように使うのか、
トメさんの信念を感じた。
ぼくの実家の近所のおじいちゃんは
戦争に行って帰ってきた人がいる。
満州にいた
おじいちゃんもいれば
特攻隊として知覧に行って
帰ってこれたおじいちゃんもいる。
満州から帰ってきた
近所のおじいちゃんから
聞かせてもらった話。
近所のおじいちゃん通信兵。
150人の部隊で
敵の攻撃が来た時
上官の命令で
先に1人で逃げさせもらった。
その後
仲間の149人は皆
戦死したとの報告を受けた時。
「自分だけが
生き残ってしまった」と
その思いを抱えたまま
中国から日本に帰ってきた。
近所のおじいちゃんの家族は
戦争から帰ってきて
嬉しいはずなのに
本人は
生き残ってしまったと
青森に帰って来てからも
しばらく心を病んで
生活することになる。
その後、近所のおじいちゃんは
90歳くらいまで生きて
家族に伝えたことは…
みんな手を取り合って
仲よく生きてほしい。これまでの人生で
いろんなツラいことがあったけど
戦争だけは経験してはいけない。
そう伝えた3日後に
近所のおじいちゃんは
天寿を全うした。
生き残ってくれたからこそ
命が引き継がれているし
伝えられることもたくさんある。
どんなことがあっても
命があるという事は
やるべきことが残っている。
そうなのかもしれない。
今日はこれから
広島の裕治郎さんが青森に来て
ブログセミナー。
昨日から降り始めた雪でも
なんとか着地した飛行機。
でも
ぼくの今日のブログの着地は
見失った内容になっている(笑)
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