なぜ三内丸山遺跡は重要文化財ではなく世界遺産登録されたのか?
vol.3852
今日は
青森の魅力を改めて感じた
ゆるネタブログ。
先日は三内丸山遺跡へ。
青森に住む人は
あまりにも身近すぎて
なかなか行かないと思うけど
三内丸山遺跡が
重要文化財でなく
なぜ世界遺産に登録されたのかを
感じることができた。
三内丸山遺跡と同じ時代に
エジプト文明や
メソポタミア文明が栄えた。
エジプト文明や
メソポタミア文明は
身分制度があって
上下関係があったけど
三内丸山遺跡には
身分制度ではなく
分け合いや助け合いの文化で
12000年もが続いたことから
面白縄文時代が続いたことが
わかって来て
面白い文明だよねということで
重要文化財としてではなく
世界遺産に残すことになったと
言われているんです!と
ガイドさんが教えてくれた。
今回のガイドさんが
30代と言っていたけど
聞いてくれている人に
話を振りつつ
持論を交えて
三内丸山遺跡を説明してくれて
めちゃくちゃ楽しかった。
話を聞きながら
縄文文化・三内丸山遺跡が
かなり好きなのがわかる。
一番印象に残ったのが
紀元前4000年前から三内丸山遺跡に
住んでいた縄文時代の人々が
やっていたことは
海からやってくる人々の入り口の
道の両脇には亡くなった人を埋葬し
集落の出口の道の両脇にも
ご遺体を埋葬した道を作って
集落を出ていく。
ご先祖様に
敬意を表しながら集落に入り
ご先祖様に
見送られながら集落を出ていく。
そんなことが考えられていると
説明してくれた。
これまで
狩猟民族だった人たちが
三内丸山に初めて定住して
人を敬うということを
6000年も前から続けていたと思うと
青森にある三内丸山遺跡は
誇るべきことなんだと思った。
遺跡発掘のものを見ると
文字がないこの時代から
生きるだけじゃなく
装飾品も見つかるということは
身に着けるモノ
身だしなみからも
気持ちを表したり
気持ちを高めることとして
使われていたことがわかる。
メイクアップにしても
始まりはおしゃれというより
儀式のために
使われていたことからも
時代と共にあり方は
変わっているけど
身だしなみの変化が
生活や感情の変化に
関係していると思うと
身だしなみという
美容の仕事に
関わらせてもらっていることが
大切なことを
伝えさせてもらっている気がして
使命感を感じた
三内丸山遺跡の探検だった。
文明は変わっているけど
亡くなった先祖を大切に
大きくなれずに亡くなってしまった
子供たちは
集落の中心に埋葬して
命との関りを大切にしている思いは
ずっと変わっていないのも
三内丸山遺跡で気が付いたこと。
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