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故人は、不幸な人生だったのか?幸せな人生だったのか?

vol.3558

眉ソムリエNARUMI(なるみ)
鳴海吉英(なるみ よしひで)です。

神田沙也加さんの
突然の訃報。

ご冥福をお祈りいたします。

芸能人という
常に人の目を意識して生活する。

しかも
両親までも芸能人だから
何をするにも注目されたり

たくさんの苦労があって
一般人には経験できない苦労があって
命の決断をしたんだと思う。

では、
神田沙也加さんの人生は

幸せな人生だったのか?
不幸な人生だったのか?

今回は神田沙也加さんに
追悼の意を捧げて
ブログを書かせていただきます

故人は、
どんな人生だったのか?

これにはぼくが経験した
持論があります。

結論から言うと
神田沙也加さんの
大切な人の過ごし方で
変わると思っています。

なぜかというと…

2005年
ぼくの母も自ら命を絶ちました。

はじめの内は
受け止められない気持ちもあって
その事実を周りに言えず

家族会議でも
心不全ということにしよう。

そんな”暗黙の了解”が
漂っていました。

その後、
母を慕って来てくれた人に
”ウソ”を付きます。

異業種交流会に行っても
母のことを聞かれると
毎回”ウソ”を付きます。

母は心不全で亡くなったと。。。

それが何年も経つと
ぼくの心の中では
「お母さん、ウソついてごめんね」
と思いながら
心不全だったとウソをつき

同時に
「お母さんも、ごめんね…」って
言っているような気がしました。

ぼくの母は
幸せだったのでしょうか?
不幸になるために
生まれてきたのでしょうか?

母の事実を
捻じ曲げているなら
母の存在を否定しているようで
これほど不幸なものはない。

そう思うようになり
ウソを付き続けた9年。。。


2014年、やっと事実を
公表することができました。

「ぼくが悲しい顔をしているより
 笑顔で誰かの役に立っていたら
 きっと、お母さんも笑顔なはず」

そう思えるようになったら
「母は幸せな人生を全うした」
そう感じることができました。

この時
母がうつ病になったのを機に
家業を継ぐと決め

東京の専門学校に行くとき
母が手渡してくれた手紙を
思い出したんです。

その手紙の中には
「お母さんは3人の
 宝物に出逢えてしあわせ者だよ」
そう書いていました。

いま改めて思うと
遺された人がどう生きるのか?
何を感じ、何を伝えるのか?

これで亡くなった人が
幸せだったかどうかは決まると
思っています。

周りが判断できるものでもは無い
そう思っています。

神田沙也加さんも
人生の結末は自ら命を絶つ
という選択をしましたが

精いっぱい生き抜いたことに
間違いないです。

大切な人を亡くした時
あなたはどう生きますか?

変わりたい。
そう思ったときから
少しずつ変われます。必ず。

神田沙也加さん
安らかにお眠りください。

合掌。


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眉ソムリエ NARUMI

鳴海 吉英(なるみ よしひで)

プロフィール
1981年青森市に生まれ青森で育つ。AB型。
1996年青森市立南中学校を卒業。
1999年青森県立商業高校を卒業。
1999年(18歳)スパゲ亭青森店に就職。
2003年(22歳)美容の世界に入るため東京メークアップアーティスト学院に入校し、その後卒業。
2005年(24歳)メディカルメイクアップを志しアメリカに留学。1か月後、劇的な人生の転機があり青森へ帰る。
2010年(29歳)資生堂メイクアップ青森県大会優勝。続く東北大会では準グランプリ受賞。TBS系列のテレビ番組でメイクのコツを伝えるアドバイザーを3年務める。エステ専門誌「クレアボー」TBS系列のテレビ番組に青森のメンズエステ店として取材を受ける。
2013年(31歳)化粧品の専門誌「月刊 国際商業」に取材を受ける。
2015年(34歳)地元企業や自治体PR広告などのメイクを担当。
2019年(38歳)眉の基本の書き方を4,500人以上に指導。
2020年(39歳)4月にTBS系列の情報番組に生出演。

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