縄文時代に争いはあったという事実…しかし、その後が愛だった。
vol.4273
眉ソムリエNARUMI(なるみ)
鳴海吉英(なるみ よしひで)です。
昨日は
青森市に住んでいる画家
NoZ(ノズ)さんの講話を
聞いてきた。
テーマは
「画家として生きるということ」。
画家というと
わかる人にはわかる感性で
理解してもらうイメージ。
でも、理解だけじゃなく
売れないと食べていけない。
ゲーム会社やデザイン業界
テレビ業界に就職したのちに
画家として独立したNoZさん。
大切だと思ったのは
「伝えるということ」
画家の感性に
共感してもらう”待ち”ではなく
テーマやコンセプトを伝える。
画家の人には口下手の人は多く
NoZさん自身も
「口下手な方だけど
これからは口下手だからと言って
そこに甘えていては
いけないと思って
絵にかけた想いを
ちゃんと伝えることをしたら
共感してもらえることが
多くなった」
そう教えてくれた。
ここ最近三内丸山遺跡を
案内させてもらう事が多く
そのたびに感じることは
知ってから行くのでは
見え方が全く変わるってこと。
いままで県外の人を
三内丸山遺跡に連れて行って
看板を見ながら散策して
記念写真を撮って巡ると
30分もあれば余裕で回れちゃう。
でも
ガイドを付けると
約50分かけて回るんだけど
全く感じ方が違う。
縄文時代の文字は
今の所見つかってないから
状況だけで判断することが
多いからそこ
わからない部分は
ロマンとして妄想するしかない。
いままで
縄文時代には戦争が無かったと
されていたけど
全くなかったわけでは
ないみたい。
縄文時代の人口は最大26万人。
その中でも6000体の骨が
見つかっていて
その中で15体だけ
殺傷で亡くなったとされる
骨が見つかっている。
特に中期~晩期にかけての骨。
石斧や矢じりの跡が
骨に残っているみたい。
なんだ…縄文時代
愛と平和だけじゃないじゃん。
って思うかもしれないけど
その後がすごい。
石斧や矢じりで
人を殺傷することができると
分かっても
それを発展させなかった。
もし人を殺傷できると分かって
人を征服することが
わかったなら
武器を発展させてもいいものを
縄文時代は
人を傷つけるための武器は
1つも見つかっていない。
ってことは
間違って人を殴っちまった。
刺してしまったってことが
あったとしても、
良心として
それは良くないと思って
武器としての発展は
最後までしなかった。
結果、
愛と平和で溢れた時代だったんだと
ぼくは感じている。
縄文のことを知る
そして伝えることは
ぼくにとっても
聞いてくれた人にとっても
楽しい時間であるし
何より
愛と平和で分け与える文化の
縄文人のDNAを日本人は
12%も引き継いでいるという事は
SHOGENくんも
ブンジュ村の村長から
言われたように
『血の記憶を呼び覚ます』
ってことにつながるんだと思う。
縄文時代の中期
交易の場として栄えた
三内丸山遺跡。
来週も雪の中、案内してきます♪
機会があったら
ぼくの三内丸山遺跡ガイド
受けてみて!
本当に楽しいから☺
(自分で言っちゃう笑)
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