三内丸山遺跡の6本柱でわかった縄文人の生き方と生活の価値観
vol.4263
こんにちは♪
眉ソムリエNARUMI(なるみ)
鳴海吉英(なるみ よしひで)です。
今日は三内丸山遺跡のガイド。
今日ガイドさせてもらったのは
なんと秋田から
青森に来てくれたお二人に。
ガイドをしてみると
不思議とめっちゃ楽しい。
ガイドするたびに
学んだ知識をさらに交えて
ガイドをしていくから
1時間のガイドも
アッという間に終わってしまう。
好きこそものの上手なれ…とは
よく言ったもので
好きなものを伝えるって
みんなが楽しくなる。
ガイドをする時に
意識しているのは
正しい情報とロマン。
三内丸山遺跡内の看板を使って
事実としてわかっていることを
伝えることと、
三内丸山遺跡があった同じ年代で
どんなことがあったのかな…や
マチュピチュのような
現代では考えられない建造物など
文書として
残っていないからこそ
ロマンを感じることでもある。
ただ、わかっていることは
1万年以上も縄文時代が続いて
その間に
人を攻撃するような武器は
一切見つかっていなく
人を気にすることなく
心に余裕があったからこそ
装飾をこだわった土器土偶が
作れたのかもしれない。
SHOGENくんが
アフリカのタンザニアにある
ブンジュ村のみんなから
教えられたこと。
ブンジュ村が
心豊かに過ごせるのは
しゃがんだときに
アリと同じ目線になり
女性をモチーフとした土偶を
作っている人たちに
教えられたことを
口伝して守ってきたからだと
言っていた。
それまで縄文時代は
その日食べるものを見つけるのが
精いっぱいの暮らしだと
思っていたけど
6本柱の登場で
その考えは覆された。
その日生きることが
精いっぱいの人が作る
建物ではない。
三内丸山遺跡の六本柱も
生活のために作られたとは
考えにくくて
三内丸山遺跡の目印だったのか
漁にでるお父さんを見送る
見張り台だったのか
もしかしたら
流れ星を捕まえようと思って
高く積み上げた柱だったのかも
しれない。
これはロマンがある所。
心に余裕があるからこそ
できる発想は
決して人をジャッジせず
やってみなくちゃわからないと
可能性を信じ
信じていることを伝えて
もし上手くいかなかったとしても
「可愛らしいね」「人間らしいね」と
言ってあげられるんだと思う。
大切だとはわかっていても
現状できていない人は
多いかもしれないけど
だからこそ
大切にしていきたい発想や
心の余裕。
今日も
一段と三内丸山遺跡の空が
きれいでした♪
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