眉ソムリエNARUMIの
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人生の転機、あの時が無ければ…24歳、覚悟を決めた日




眉ソムリエNARUMI(なるみ)
鳴海 吉英(なるみ よしひで)です。



自宅を8時に出て
8時間後の16時に広島駅に着き
17時から美眉レッスンスタート



広島でもこうやって
眉ソムリエの美眉レッスンを受けたい!
と思ってくださる方がいることが
本当にうれしかったです。



眉で変わる驚きと
眉を描く楽しさを
知っていただきましたラブラブ



その様子は追って
ブログで書いていきますねニコ



そして、
広島に来たもう一つの理由が

下矢印下矢印下矢印


アップリボーンアワード2019

出場者の方々



過去の
誰にも知られたくない
醜い部分に向き合って



魂の叫びで
人の心を震わせる!



そんな
ビジネスエンターテイメントビックリマーク



過去の誰にも知られたくない
触れてほしくないところ…
そりゃ、ひとつやふたつ
みんなあるよ。



ぼくも今年の9月に
三代続いた化粧品店の営業を辞めるビックリマーク
と決断し、



それを機に
過去の誰にも知られたくない
触れてほしくないところを
見つめ直してみたので



ここに書き綴ります。



長文ですので、
ご注意くださいねウインク


↓↓↓

******

ぼくの活動の原点に

あなたが笑ってくれたら
周りもみんな笑顔になる。



という言葉があります。



この言葉の背景には

ぼくの人生を大きく変えた
こんな出来事があったからなのです。



家業である化粧品店のお店を継ごう!
と決断し
美容の世界に入って目指した道に
メディカルメイクアップがありました。



その当時、テレビでも
メディカルメイクアップが
注目されているときで



口笛「人の役に立てるなら
まぁ、いいんじゃない?」
くらいに思っているとき



たまたまアメリカ留学の話が来たので
メディカルメイクアップの現場に行くビックリマーク
ということに決め



2005年(平成17年)6月24日
ホワイトハウスがある
ワシントンD.C.に行きました。

この時
サッカーワールドカップがあったり
アメリカ南東部に大きな被害をもたらした
ハリケーン「カトリーナ」が発生したとき。



そして
人生の転機となる出来事が起きたのは
留学からちょうど一ヶ月経った
2005年(平成17年)7月24日



日本にいる家族から
1通のメールが…

お母さんが
死んじゃった。
至急電話くれ!!!
(今もその画面は
目に焼き付いています)

「いやいや、なにかの冗談でしょあせる
と思いながら



心が、ざわざわする感覚のまま
震える指で電話のボタンを押し
国際電話がつながると



兄から淡々と状況が
伝えられました。



どうやら冗談ではなく
現実だった。。。



「勝手をお許しください」の一筆を残し
自ら命を絶った母。
実は2年前からうつ病を
患っていました。



嘘でしょ!そんなの
信じられるわけないっ!



放心状態のまま朝になり
アメリカでお世話になった方に
事情を伝え

飛行機の手配をしてもらい



現実を受け止めきれないぼくは
帰りの飛行機でも



「あぁ…このまま
飛行機、落ちてくんないかな~」



ずっとそう思いながら
全部で約18時間の移動時間
一睡もすることが出来ずに

青森につきました。



実家の玄関を開けると
そこには兄がいて



兄ちゃんの表情が
現実を物語っていました。



言葉を交わさずとも
嗚咽を漏らしながら
2人でただただ
声をあげて泣き叫ぶだけ。



恐る恐る仏間に行っていると
立派な祭壇と
見たこともないくらいたくさんの献花



そこには
白い棺(ひつぎ)。



「人違いであってくれ…」と
心のどこかで思いながら
ゆっくりと棺をのぞき込むと



そこには
白い花と白装束に包まれた母の姿。



いつもの寝ている顔じゃん。。。

「ねぇっ…

起きてよ!

起きてよっ!
お母さんっ!!!」






大きな声で呼んでも
棺を揺らして叩いても
お母さんは
目を開けてくれませんでした…



その後のお葬式などが終わって



そのまま、
家業である化粧品店に立つも
いつも思っていたのは




「お母さんに心配をかけさせて
ぼくが追い詰めたのではないか…」
という自責の念でした。



アメリカ留学を考えたとき
お母さんはすでにうつ病になっていて
その日によって
気分の上下がありました。



お母さんに
キョロキョロ「アメリカに行ってみたいと思うんだけど」
そう伝えると



ショボーン「え?うーん…」と、
うつむき考え込んだまま
それ以上は何も言わず。



そりゃそうですよね。
銃社会な上に2001年には
アメリカ同時多発テロがあったし…




父や兄弟にも
アメリカに行ってみたいことを伝えると
やっぱり反対されました。



そりゃ
今のお母さんの状況を考えると
少しでも心配はかけない方がいい!
それはすごくわかっていましたが



アメリカに留学できるチャンスは
逃したくありませんでした。



数日後
お母さんが
キョロキョロ「ちょっといい?」
ぼくに話しかけてきてくれたので



口笛「ん?どうしたの?」
聞き返すと



「アメリカ、行ってらっしゃい!
長い人生のたった数ヶ月だもん!
お母さん、大丈夫だから」

そう言って背中を押してくれました。



でも、大喜びできませんでした。



「お母さん、大丈夫だから」の表情が
やっと作ったような笑顔
だったからです汗



その時、うつ病の中でも
気分が落ち込んでいる期間で
アメリカに旅立つまでの毎日



「何とか気分が上がってくれ!」
「頼むからよくなってくれ!」
と願っていたけどその願いは叶わず



アメリカ出発するときも
「うん。気を付けてね」と
言ってくれるのがやっとの会話で
ぼくは出発しました。



アメリカに到着し、3日に1度くらい
お母さんの様子を伺いつつ
アメリカの生活を伝えようと



時差を考えて
日本時間の夜に合わせて
電話をしていました。



そのうち、お母さんの声にも
元気が戻ってくるのもわかり
安心していました。



そして、アメリカ到着から1か月
2005年7月24日




お母さんが命を絶つ日



この日も電話をかけるつもりだったのに
急に「明日でもいっか」と思い
ぼくは電話をしなかったのですハッ



もし、あの時
ぼくがちゃんと電話をして
声を聞かせてあげられたら…



お母さん
思いとどまってくれたのかもしれないビックリマーク



いつも自分のことより
他人のことを優先するお母さん。
たくさんのお客様に愛されたお母さん。



そんなお母さんに
心配をかけさせ
追い詰めたのではないか?



アメリカに行くのも
自分に嘘をついて



「お母さん、大丈夫だから」って
言ってくれたんじゃないか?



ぼくは自分のやりたいことだけを
好き勝手やりやがって…むかっ



毎日毎日毎日…自分を責めました。



一日の仕事が終わり
仏壇に手を合わせると



そこには、やっぱり
お母さんの写真があって
ここで現実を思い知らされました。



お母さんの戒名が書かれた位牌を
胸に抱きしめ

仏壇の座布団に
小さく丸くうずくまって



「なんで自分で…」
「あの時電話していれば…」
「ぼくが追い詰めたんだ…」



そう思いながら泣きじゃくる毎日。



お母さんが
夢に出てきてくれた時だなんて



「お母さん、生きてたんじゃんビックリマークビックリマークビックリマーク
明日からお母さんと一緒に
化粧品店に立てる音譜
と夢の中で大喜びするも



目が覚めた時に現実だとわかると
死にたくなりました。



ある時、外でお酒を飲んだ時
お酒のせいもあってか
すごく辛くなって



お母さんの側にいけるのかな?って
お酒で頭がグラングランする中



両手で自分の首を締めてみました。



のどぼとけを
両方の親指でグッと思いっきり押し込むと
息ができなくて

頭に血が上っていくのがわかる…



でも、ぼく死ねなかったんです。



死ぬってすごく苦しいこと。
そして
簡単になんか死ねない。



それを
お母さんはたった一人でやったのか…
そう思うと



なおさら
「そんな辛い思いをさせてしまって
ごめんね。ごめんね。ごめんね。」
と、ますます辛くなりました。



それでも
なんとか毎日を過ごし
数年かけて徐々に



ニコニコ「僕が笑っていればお母さんも
安心してみてくれているはず!」




ウインク「お母さんの分も生きなきゃ♪」
と思えるようになり



女性のお客様に触れることも
少しずつ慣れてきたし



お客様にメイクをすると
表情が明るくなって帰ってくださる。



メイクの大会でも賞を獲って
自信もメキメキとついてきて



メイクを伝える立場として
ものすごく喜びを感じていた時



フッと



「もし、お母さんにメイクして
表情を明るく変えられたら
お母さんを死なせずに
済んだのかもしれない」



そう思うと
振り切れたと思ったはずの
後悔、憎悪、自責の念が
あの時のように溢れてきました。



「こんな思いをする
ご本人や家族は増やしちゃいけない」



そう思っても
今さら精神科医になることもできない。



だったら



来てくれるお客様や
お母さんと同じように
気持ちで疲れている人を
美容の力で表情を変え



その人の運命を前向きに
変えたらいいじゃん!



次第に
そう考えるようになりました。



メイクの中でも
印象を作る大きなカギとなるのが
眉です。



眉一つで
表情を変えられるのではないか…?



眉のことをさらに勉強し
お客様に眉を描いてみると
みんな、
眉だけで表情が変わっていきました。



キョロキョロ「本当に眉だけで顔が変わった」
お願い「このまま帰るのがもったいない」
ラブ「いつもより3割増しで可愛い」



そう言ってくださる方が
どんどん増えていきました。








これだ!



眉を変えたら表情が変わって
前向きな気持ちが
前向きな行動をしたくなる。



その前向きな行動が
運命が変わるきっかけになる!



そう思って
毎日眉に触れているんです。



ぼくの活動の原点である



”あなた”が笑ってくれたら
周りもみんな笑顔になる



というフレーズ



”あなた”が笑ってくれたら…

そう
あなた=お母さん
ということでもあるのです。



でも、もうお母さんに
直接何かをすることは出来ないけど



これから出会う人には
眉を通じて
その日から何か変わる火種を
作ることはできる。



眉が変われば表情が変わる

その素敵な表情が
感情と行動を変え
運命を変える



そんな想いで
”眉ソムリエ”として
眉が描けるようになるお手伝いを
日々させてもらっています。



本当に
眉ですべてが変わります。
変えてみせます。



これが
ぼくの本当の原点ウインク

******



いかがでしたか?



みんな…
精一杯、幸せになろうと
生き抜いているんですよね。



あなたの人生
いいものにしましょうよ。



もう、大丈夫!
大丈夫ですからウインク



それでは、またっ



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代表取締役 鳴海吉英(なるみ よしひで)

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眉ソムリエ NARUMI

鳴海 吉英(なるみ よしひで)

プロフィール
1981年青森市に生まれ青森で育つ。AB型。
1996年青森市立南中学校を卒業。
1999年青森県立商業高校を卒業。
1999年(18歳)スパゲ亭青森店に就職。
2003年(22歳)美容の世界に入るため東京メークアップアーティスト学院に入校し、その後卒業。
2005年(24歳)メディカルメイクアップを志しアメリカに留学。1か月後、劇的な人生の転機があり青森へ帰る。
2010年(29歳)資生堂メイクアップ青森県大会優勝。続く東北大会では準グランプリ受賞。TBS系列のテレビ番組でメイクのコツを伝えるアドバイザーを3年務める。エステ専門誌「クレアボー」TBS系列のテレビ番組に青森のメンズエステ店として取材を受ける。
2013年(31歳)化粧品の専門誌「月刊 国際商業」に取材を受ける。
2015年(34歳)地元企業や自治体PR広告などのメイクを担当。
2019年(38歳)眉の基本の書き方を4,500人以上に指導。
2020年(39歳)4月にTBS系列の情報番組に生出演。

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