眉ソムリエNARUMIの
365日毎日更新blog

引退会見。批判から得ることができた唯一の希望

vol.3496

眉ソムリエNARUMI(なるみ)
鳴海吉英(なるみ よしひで)です

今日もブログを見てくれて
ありがとう

今日は始めに伝えておくけど
眉の書き方のテクニック…
ではない内容。

ぼくの過去の話を書きます。
それでも読んでくれたら嬉しい。

では行ってみよう!

昨日のブログにも書いたんだけど
「平成の怪物」松坂大輔選手の引退。

ぼくは松坂世代なので
どうしても注目しちゃって

松坂大輔選手の引退会見で
気になった文章があった。

それは

これまでは叩かれたり
批判されることに対して
それを力に変えて
跳ね返してやろうと
やってきたが

最後は
それに耐えられなかった。

最後は
本当に心が折れたというか

今までは
エネルギーに替えられたものが

受け止めて跳ね返す力が
もうなかったですね。

引用:松坂大輔選手インタビュー より

ひと言で言ったら
心無い批判や誹謗中傷。

言葉はナイフにもなるし
勇気を与えるモノにもなるから

相手の気持ちを
踏みにじる誹謗中傷は
本当~に良くない

ただ、
ある意味、良かったんじゃないか?
って思っていて…

なんでかというと
次に進むきっかけになったことは
間違いない。

松坂大輔選手も
自他ともに認める
「あきらめの悪い男」
らしいけど

だからこそ
限界を超えているのは
自分で薄々わかっていても

諦めたくない。認めたくない…って
最後のトドメを刺せなかったはず。

引退会見の
インタビュー内容を読んでいても
そんなことを感じるんだよね。。。

誹謗中傷は良くないけど
「終われる」という”安堵感”は
どこかにあったのかもしれない。

これは
ぼくが64年続いた家業を閉める!と
決断した時と
なんか…感情が重なっちゃって。

・このままじゃいけない
・対策を見つけてやる
・うまくいかない
・それでもどうにかなる…はず
・根性で続けていれば…
・焦りも不安もある
・自分の代で潰したくない
・最悪な予感もするけど
 認めたくない

こんな
粘りというか
諦めきれない感情が
いつもぐるぐる回ってて
正直、苦しかった

ある時、
思い切ってやれそうなことを
全部、紙に書いて
それをやってみたことがあった。

そして、最後の挑戦!!
結局ダメだった…

それがわかった時

「あぁ~、終わった。
 ぼくには無理だったんだ。
 もう諦めよう」

同時に心のどこかでt
「この苦しみから
 やっと解放される」
とも思っていた。

悔しさや虚しさは
ゼロではないけど
「やるだけやった。よく頑張った」
って清々しかったんだよね。

それからは
化粧品店、最後の花道として
素敵な時間が訪れた。

いままでお世話になった方が
本当~~~~~に、たくさん
お店に来てくれて

閉店最後の1か月は
座る間もなく朝から晩まで
ずっとお店にはお客様。

「こんなに愛されていたんだ~」
って嬉しかったんだよね。

花束も思い出の品も
皆が持ってきてくれて
本当に幸せを感じる時間だった。

最終営業日も
最後までお客様が来てくれて
すべての業務が終わり
扉を閉めた店内で

「今まで
 ありがとうございました」

って深く頭を下げながら

お客様・家族・ぼく自身に
「ごめんなさい…」
って言ってた。

家に帰って来ると

↓↓↓

妻と子供たちが
サプライズで労ってくれた。

嬉しさ、虚しさ、悔しさ、申し訳なさ…
いろんな感情が込み上げてきた。

今、考えると
「次のステージに行きなさい」って
時代がぼくに
トドメを刺してくれたんだと思う。

じゃなきゃ、
もっと苦しんでいた。

松坂大輔選手の引退理由の一つ。
心をへし折るほどの批判は
想像できない程の
量と鋭さだろうけど

間違いなく言えるのは
諦める勇気と決断を出来たのは
批判があったから。

代名詞である剛速球を
もう見せることができない
ボロボロの体でも
ありのままをさらけ出した。

引退試合のマウンドの姿で
皆が納得したんじゃないかな?

そう思うと

どんなきっかけだろうと
やるだけやって引退を決断した。
ってことは
良いことだったんだと思う。

「よく頑張ってきたよ」
↑閉店を決断してから
ぼくが支えられた言葉。

松坂大輔選手の活躍に
いつも勇気をもらい
同じく”あきらめの悪い男”で
やるだけやって決断をした…

本当におこがましい話だけど
同じ感覚を味わった同志
そう思うと

今回のブログに書かずには
いられなかった。

あきらめが悪かろうが
やれると思った事をやって
決断したなら
それはすべて正解。

必ず誰かが見てくれている。

その経験を
今度は誰かに伝えて
誰かのお役に立てる。

だからね
ぼくも命を燃やして
今、眉ソムリエとしてここにいる。

これからも
眉で変わる世界を伝えていくよ。

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眉ソムリエ NARUMI

鳴海 吉英(なるみ よしひで)

プロフィール
1981年青森市に生まれ青森で育つ。AB型。
1996年青森市立南中学校を卒業。
1999年青森県立商業高校を卒業。
1999年(18歳)スパゲ亭青森店に就職。
2003年(22歳)美容の世界に入るため東京メークアップアーティスト学院に入校し、その後卒業。
2005年(24歳)メディカルメイクアップを志しアメリカに留学。1か月後、劇的な人生の転機があり青森へ帰る。
2010年(29歳)資生堂メイクアップ青森県大会優勝。続く東北大会では準グランプリ受賞。TBS系列のテレビ番組でメイクのコツを伝えるアドバイザーを3年務める。エステ専門誌「クレアボー」TBS系列のテレビ番組に青森のメンズエステ店として取材を受ける。
2013年(31歳)化粧品の専門誌「月刊 国際商業」に取材を受ける。
2015年(34歳)地元企業や自治体PR広告などのメイクを担当。
2019年(38歳)眉の基本の書き方を4,500人以上に指導。
2020年(39歳)4月にTBS系列の情報番組に生出演。

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