「させてもらっている」という感謝の正体。
vol.5295
今日は
五所川原市倫理法人会の
モーニングセミナーに
参加してきたのですが
物事の受け取り方が
変わる言葉を
教えてもらいました。
それは
「〇〇させてもらっている」
という言葉。
何かをしているとき
「〇〇してあげているのに…」
そう思う事ってないですか?
その問いかけに
心当たりありすぎて
ぐぅの音もでねぇw。
無意識のうちに
価値を押し付けたり
見返りを求めていたり…
それが
「〇〇であるべき」になると
執着になる。
執着は良きに働くと力になるけど
少し角度が変わると
悩みの根源になってしまう。
その時に
見返りを求めずに
「〇〇させてもらっている」
という言葉に変えてみる。
講話者の方は
娘さんの送り迎えを
「してやっている」
という思いから
「送迎させてくれてありがとう」と
言葉にして伝えたら
逆に
「いつも送ってくれてありがとう」と
言われたそうです。
そう言われてみると
人の命も時間も限りがあるもの。
車で送っていけるのも
一生ではない。
あと何回あるだろうか?
子供の成長を特等席で見られる…
そう思うと
子育てでも仕事でもその役割を
させえてもらえていることに
「させてくれてありがとう」
という感情が
溢れてくる気がしました。

今、自分の足で立って
誰かのために動けること。
その光景が
「あたりまえじゃないよな」って
思えるときがある。
いつかは当たり前に来ない。
今、目の前の人を大切にする。
それがしゅーてぃが
命に代えて教えてくれた
『楽しむことは
自分らしく生きること』の
答え合わせのようでした。
「させてもらっている」
という言葉が
ただの謙遜ではなく
心の底から
震えるような感覚として
地に足が付いた感覚でもありました。
この「させてもらっている」という、
相手を敬い
自分を慎む心のあり方。
実はこれこそが
しゅーてぃが「書」を通じて
ずっと伝えたかった日本の心
「和を以って尊しとなす」
の正体なんだと気づきました。

聖徳太子が
十七ヵ条憲法の第一条に
掲げたこの言葉。
争わず、相手を思いやって
一つになること。
それは
単に「仲良くしよう」という
表面的な意味ではなく
お互いに
「させてもらっている」という感謝で
繋がること。
相手を変えようとするのではなく
まず自分が「させてもらえる自分」
であることに感謝する。
その心の余裕が
しゅーてぃが伝えたかった
「和」の第一歩なんだと思います。
誰かのために
何かをするのではなく
誰かのために
「させてもらえる自分」で
いられることに、感謝して
過ごしてみようと思います。
それでは、またっ![]()
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