村人の思いがたくさん込められた、五所川原市飯詰の長円寺。
vol.4835
こんにちは☺
アフロなるみです。
昨日は
お友達のSNSのシェアから
気になった情報があった。
飯詰という地域の物語。
歴史には詳しくないけど
この地域は
なんか気になっていたところ。
朝一で脱毛のお仕事をして
ギリ間に合う!
夕方のお仕事までに
間に合う!
開始3分前に到着して参加すると
超ローカルなマニアック情報が
飛び交う2時間。
興味津々で聞かせてもらって
もっと深く知ると楽しいと感じた。
その中でも
飯詰(いいづめ)にある
長円寺にある鐘。
梵鐘の伝説を聞いたら
帰り路の途中に
長円寺の梵鐘(ぼんしょう)を
ぜひとも見てみたいと思った。
その伝説を要約すると…
さかのぼる事、江戸の中期。
京都で作られた
2つの鐘が日本海を船に乗って
わたってきた。青森のシジミで有名な
十三湖に入ると
天候が荒れ始めて船は転覆。二つの鐘は
湖の底に沈んじゃった。こりゃ大変だと
翌日に鐘を引き上げようとすると
長円寺の鐘は引き上げられたけどもう一つの鐘は
探してみ見つからないことから
”十三湖の主”になったと言われてそれ以来、
長円寺の鐘を鳴らすと
十三湖の主が恋しいと
言っているように
聞こえる気がするという伝説。さらに
梵天の伝説は広がってその後、江戸の末期になると
外国船が日本に来ようになって
大砲を作らないといけないと各所のお寺の鐘が
徴収されることになる。国のためならと
惜しみながらも
村の人たち全員で鐘を下して
村の人全員で見送って
運ぼうとすると村のはずれにある坂に来ると
重さで一向に動かくなり鐘がここから離れなくないと
泣いて言っているのでは…と
村人が泣き鐘のいきさつや
芸術品だと陳情書を藩主に出して
長円寺に戻ることになった。その後第二次世界大戦で
武器制作資材として
全国の寺から回収になったんだけどまたしても村の人が
芸術的価値があると
陳情書を出したことで戦後残った鐘は
長円寺を含めた
3つのお寺の鐘だけという。長円寺の梵鐘には東西南北に
笛・太鼓・ショウ・ビワを奏でる
天女4人が描かれていて鐘には
「満足いくまで
何回も作り直してできた
自信作の鐘だよ~」って
文字が彫られている。
鐘が生まれた時から
試練を乗り越えて
2度の徴収の危機になったけど
村の人の思いが詰まった鐘。
さらには
大きな幸福観音像がある。
これはこの地域出身者が
先祖供養とお寺への寄付として
ここに建てられたと書いてあって
昔も今も
村人に愛されているお寺なのが
凄くわかる。
ただの神社仏閣巡りだけじゃなく
そこに来れられた思いを知ると
愛着の湧き方全然違う。
僕がさせてもらっている
三内丸山遺跡のガイドも
ガイドあるのとなしでは
感じ方が2000%違ってくる。
日本列島に住み続けた人の思いが
その場所で感じられるから
せっかくなら
ガイドをつけたほうが
一生の思い出になる。
これからも伝え続けていくよ。
地元の人が集まって
残されている情報と
口伝として
言い伝えられていることの繋がりを
感じていた。
このお話会
また次があるなら参加したい!
それでは、またっ
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