三内丸山遺跡をガイドするときに聞く質問。
vol.4806
こんにちは♪
鳴海吉英(なるみ よしひで)です
先日は
千葉県、埼玉県、元東京葛飾区に
お住まいの方に
三内丸山遺跡のガイドをさせてもらった。
ガイドする時に必ず聞くことがある。
お住まいの近くの
縄文遺跡に行ったことありますか?と。
半分以上は行ったことがないと言う。
三内丸山遺跡の入り口から
縄文人の形跡を辿りながら
どんな思いが込められているか?を
伝える。
三内丸山遺跡は縄文の中期で
それまでは
ひと家族で生活していたのが
拠点集落として
人々が集団で生活をし始めた時代。
だから
住居もお墓もお祭りをする場所も
同じ場所にある。
縄文後期になると
生活する住居はお墓
お祭りをする場所はそれぞれ離れて
今の生活の形に似てくる。
現代の今でも
縄文人が生活した土地の上で
生活をしていて
縄文時代だけじゃなく
平安時代も江戸時代も昭和も
それぞれに生活してきた歴史があって
縄文時代だと前期・中期・後期で
生活スタイルも土器の形も違う。
心に余裕を持って知恵を絞って
生活した人たちのDNAが
今も日本人には残っていることから
いま住んでいる場所や生まれた土地では
どんな縄文人の生活があったか
興味もってもらいたくて
三内丸山遺跡を伝えさせてもらっている。
それは
自分に興味を待つことになる。
食べ物はすごく大事で
生まれた土地で作られた野菜を食べると
元気が出るとも言われる。
これって
何か体の中に記憶されているものが
反応することに意味があるのかも。
先日、三内丸山遺跡を案内した人も
「なんか懐かしい〜」と言っていたのも
何か過去のものに
反応しているのかもしれない。
三内丸山遺跡を
ガイドできるのもあと1ヶ月。
伝えていきます😊
それでは、またっ
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