縄文時代、争いごとはあった?
vol.4595
こんにちは♪
鳴海吉英(なるみ よしひで)です
昨日の青森は
明け方まで降っていた雨も上がって
朝からいい天気。
今の時期は朝も雲が少なくて
日の出の景色が美しい。
秋は
太陽が出ている時間が少ないけど
その分、朝日と夕日がすごくキレイ。
それは
三内丸山遺跡に行くと本当によくわかる。
三内丸山遺跡の代表的なものとして
6本柱があるけど
柱の跡、柱の状態
土にかかっている圧力から
この6本柱があったのではないか?と
想像して建てられた。
太陽に照らされた6本柱から見える景色は
とても美しくて
いつも行くたびに
三内丸山遺跡に住んでいた縄文人も
同じ景色をみていたのか〜と思うと
なんだか心がじんわりとする。
さらには
三内丸山遺跡から見える八甲田山も
縄文人は同じ山を見ていた。
縄文時代といえば
人と人とが争う武器が
見つかっていないということから
愛と平和で満たされた時代だと
言われているけど
考古学から考えると
遺骨から争いがあったのではないか?
という説もある。
人間だし、いろんな人の交流も
あっただろうから
意見の食い違いがあったと想像しても
おかしくない。
ただ、間違いなく言えるのは
1万4000年もの間
人が争う武器が
見つかってないという事実。
争うことではなく何か違う方法で
ちょうどよい方法を
見つけていたんだと思う。
青森の人を見ると
おもてなし精神が強いと思う。
昔、家業の化粧品店をやっていると
化粧品メーカーの社員さんは
3年毎くらいに変わる。
聞いてみると青森転勤が決まる時
「えっ…、青森?」と思ったけど
転勤する時には
青森を出たくないという人が多かった。
これって青森だけじゃなく
その場に馴染むと「住めば都」ってやつ。
日本の現代の人のDNA解析をすると
縄文人のDNAは
10〜20%含まれているとされている。
来たものを受け入れる。
いざこざや恨みを一切水に流す。
という日本人の性格は
縄文人からいまも身体のどこかに
受け継がれている証拠なのかもしれない😌
来週も
三内丸山遺跡のガイドがあるから
楽しんでくるー!
↑家の上に生えている草が可愛すぎる😍
それでは、またっ
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