縄文時代は日本海は海ではなかった。
vol.4265
こんにちは♪
眉ソムリエNARUMI(なるみ)
鳴海吉英(なるみ よしひで)です。
今日は勤労感謝の日。
先日
三内丸山遺跡を案内した
秋田のお二人から
こんなかわいいものをもらった!
ね?めっちゃ可愛いでしょ?
これは
縄文の土偶…ではなく
『岩偶』。
岩を削って作っているんだけど
表情が笑っている。
土偶は
出産を表現していることが
多いんだけど
笑う岩偶ちゃんは
何を表現しているんだろう。
これは
1993年に北秋田市にある
白坂遺跡から見つかった岩偶で
縄文時代の
ほぼ終わりの晩期に
作られたもの。
どんな思いを込めて
作られたのかを
想像するだけでも楽しい。
そして
もう一つ頂いたのは『石』。
秋田の日本海側の砂浜から
拾った石で『メノウ石』なのかな?
実は
今から16500年前は
日本海は海ではなく湖だったことが
わかっている。
大陸とつながっていて
縄文時代は歩いて
今の日本列島に歩いてこれたと
言われていて
この時は今から5度も気温が低く
氷河期が終わった後。
だから、いまよりも海水面が低く
陸地だった場所は
縄文時代に小さな集落があったと
考えられていて
今でも
漁をすると土器土偶が
出てくることもあるみたい。
石は長い間日々形を変えながら
存在しているからどの時代の
石なんだろう~。
頂いた石はヤスリを使って磨くと
模様が浮き出て
艶々のピカピカに
なるみたいだから
ヤスリを買って
磨いてみようと思う。
縄文時代は
自然のすべてのものに
感謝をささげていたと
されているから
石ひとつにも
想いを込めていたのかもしれない。
それぞれの意識から見つかる
特徴的な土器土偶を見て
その背景を想像するのが面白い。
いま、読んでいる本が
三内丸山遺跡を含む17個の遺跡を
一つの世界遺産に
登録されるまでにご尽力くださった
岡田さんの本。
好きになるって素敵な事。
これからも
三内丸山遺跡のことを
深く知って行こうと思う☺
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